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寒河江駅前ふれあい盆踊り大会とB級グルメ【やきとり さらや】

d0080549_6433286.jpg本日は寒河江駅前のみこし広場にて、「寒河江駅前ふれあい盆踊り大会」が行われました。
私も市議としてぜひこのイベントに参加して欲しいという依頼がありましたが、すいません。今日はさがえちぇり〜マルシェに引き続き、寒河江市の姉妹都市である神奈川県寒川町のB級グルメ「さむかわ棒コロ」の販売お手伝いで屋台の方におりました。
イベントは6時30分からと言うことで、会場には5時に入り、テント設営などの出店準備。今回はたったの2時間。しかも人出はどれぐらいか想像つかないので、どれぐらいの本数を準備したらいいのかわからなかったが、とりあえず前回同様150本を用意。
午後6時を過ぎたが人はかなりまばらなためにフライヤーは2代準備していたが、とりあえず1台だけ油を張って温める。

d0080549_6433531.jpg6時30分を過ぎると、市議の諸先輩方も会場に。私は「竹の子食堂」のお手伝いという形でさむかわ棒コロを販売しているので、とりあえず鶏唐と枝豆を購入して、先輩方のテーブルへ差し入れ。「すいません、参加ではなく売る方で盛り上げますので、勘弁して下さい」と一言断りを入れ、お店に戻る。
出足はイマイチだったが、7時を過ぎる頃には用意していたテーブルやイスが埋まり、賑やかな雰囲気に。時同じくして市長の挨拶があり「姉妹都市の寒川町から、さむかわ棒コロも出店していますので買って食べて下さい(意訳)」と紹介いただいた事もあり、棒コロ大ブームw
もうすでに鍋二つ準備していたものの、一回あたりの揚げ時間が10分、そして一回に揚げられるのが10本までと言うこともあり、10本以上の場合は次(つまり20分後)になってしまうので、非常に長蛇の列になってしまいました。
しかも結構揚げているうちに破裂してしまうものもあり(ちょっとぐらいのものはそのまま販売しておりますが、大きく切れ目ができてしまったものなどはさすがに販売できませんでした)、ほんとピークの時はかなりお待ち頂く事に。
しかし前回同様の本数を2時間で売り切ったので、神奈川県寒川町のB級グルメ「さむかわ棒コロ」の名前は寒河江でも定着してきたのではないでしょうか?
イベント終了間際になると、棒コロもなくなってしまったので、同じ竹の子食堂の鶏唐や枝豆、ソーセージの販売をお手伝い。ビールを差し入れ頂いたので、それに合いそうな「米の娘ぶたのソーセージ」(こちらも竹の子食堂で販売)を自費にて購入。2本で300円というお値段だったが、これが食べてみてびっくり。すごいおいしい。私は寒河江の日東ベストのウィンナーが最高だと思っていたが、この甘みとあふれる肉汁はかなりやばいw
「米の娘ぶた」というのは、金山町にある「金山最上牧場」で誕生した豚で、国産飼料用米とホエー(乳清・牛乳からチーズを作る時に固まらなかった残りの成分というか水っぽいところ)を食べて育った豚なのだそう。これ、金山町の新たなグルメに発展する気配がビンビンとしますね。

d0080549_6433835.jpgそんな寒川町と金山町の食材に触発され、寒河江のB級グルメをもっと普及しなければならないと改めて実感。先日参加させていただいた寒河江青年会議所でも話の上がった「寒河江やきとり」についてさらに知りたいと思い(ウィンナー以外はビールしか口にしていないと言うものあったが)後片付け終了後、かなりギリギリだが寒河江で最も歴史のあるやきとり屋さんのさらやへ。通常なら混みすぎてゆっくり話を聞けるはずがないのだが、これぐらいの時間なら…と思っていったが、カウンターは満席。話どころか、俺が座る席がないw
とりあえず一人なのに裏に座る(テーブルのある団体席)と、ほどなくしてカウンターのお客さんが一気に帰ったのでカウンターに移動。
まずはおやくそくの豚足をオーダー。
そして焼き物をお願いしながら話を切り出す。「寒河江のやきとりについていろいろと教えて欲しいのですが…」
以下、聞いた話と調べた話を掲載します。なぜ寒河江では豚モツを串に刺したものを「やきとり」というのか、その謎が解明しました。(かなり長いです)
〜ライターの土井中照さんが書いた「やきとり天国」より引用〜
 明治以降、肉食の禁令が解かれたが、鳥料理は「番頭さんは牛肉料理で旦那さんは鶏料理」といわれるほどの高級料理であった。供給の関係から昭和中期、ブロイラーが台頭するまで鳥肉は高級食材だったのである。
 焼鳥も明治の半ばに鳥料理の店などから出るガラやスジ肉を使った屋台が橋のたもとや縁日の露店に登場し、庶民の人気を博している。また、江戸時代から続いていた神社の参道で売られていた焼鳥店も変わらぬ人気を博していた。禁令を免れることの出来る寺社奉行の管轄地、米作の妨げになる雀を中心に焼鳥にしていた。

 大正十二年の関東大震災の後から焼鳥屋は全国に広がった。関東では豚の内臓を使った「焼とん」が人気を集めている。この豚や牛を使った「焼とん」は敗戦後の闇市でも活躍し、大衆的な食べ物として普及した。スタイルが似ているため、「やきとり」と称しているが、素材の点で焼鳥とは別物だと思う。前述したように昭和三十年代まで鶏は依然、高級食材であり、焼鳥屋では上等な部位の串や野菜など従来にない種類の串が登場した。特にささ身はあっさりした上品な味により人気メニューとなった。

 焼鳥の大衆化がはじまったのは昭和三五年頃からの食肉用ブロイラーの普及による。鶏の価格が安くなり、身近な食材となったためである。この頃から、大衆焼鳥店が多く登場してくる。サラリーマンが会社帰りに立ち寄る場所として駅の近くに焼鳥屋が目立つようになる。
〜引用ここまで〜

さらやさんが創業したのは昭和30年。今年で57年目を迎える。開店当初は上記土井さんの記述にある通り、牛のモツ(ハツやレバー)を串に刺して出していた。その後だいたい10年ぐらい経った頃に豚のモツを出すようになる。
その後上記にもあるように全国的に見ると鶏肉を焼く、文字通り「焼鳥屋」が増えてくるのだが、寒河江ではそのまま豚のモツを焼いたものが「やきとり」として定着したままとなる。
またこちらの看板メニューでもある「豚足」は開店間もない頃、名古屋から帰ってきた長距離ドライバーに「こんなものが名古屋にはあった」と聞き、その後試行錯誤して現在の塩ゆでとろとろの豚足に至ったのだそう。

結果、やきとりという言葉はあったものの鶏肉は高級すぎるので、豚や牛のモツを焼いたものの方が一般的には普及しておったようです。鶏肉が最初にあって、寒河江では独自の文化として豚モツの方向に行ったのかと思いましたがそうではなく、最初は牛・豚モツの串が普及し、その後鶏肉に変わっていったが寒河江では変わらなかったというのが、この「寒河江やきとり」になったようです。

ちなみにさらやさんは、通常長ネギを使うのですが、夏の間はネギがおいしくない(甘みがない?)ためにタマネギを使用。その為か「寒河江やきとり」というと、豚モツにタマネギというのが一般的なイメージとして定着してますよね〜。
いずれにせよこの寒河江の大事な食文化「寒河江やきとり」にさらなる脚光を浴びせるべく、私は活動してきたいと思います。
by pattu | 2011-08-05 23:42 | まさにFatFree!!


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